あらやピアノスタジオ
あぐらdeピアノ「ピアノ教師、保護者そして生徒へのメッセージ − アメリカに学ぶ」 新谷有功 著
第七章
手首
(Usage of Wrist on Piano Playing)
手首を痛めないために
どの年齢の生徒に対しても、手首の使い方には注意させなければなりません。学生でもプロでもピアノを弾く人の手首の故障は結構多いと感じています。
1 やってはいけないこと
腕を前に出し、手を水平にした状態で手首を左右に動かすことはやってはいけません。こういう動かし方がピアノで手首を痛める最大の原因のように思います。
ピアノを弾くときに、短い親指や小指を使う場合はどうしたらいいのでしょうか。
親指を使う場合はヒジを絞り、つまり内側に移動し、小指を使う場合は逆にヒジを外側に出すのです。このように、手首の左右の動きを制限することによって、そのけがを防ぐことができます。
2 正しい手首の動かし方
一方、手を水平にした状態で上下させる、いわゆる「おいで」の動作、それから、ねじを回す時のような、回転運動は大丈夫です。
また、この上下運動と回転運動はピアノ の演奏には欠かせないものでもあります。
3 ポイント
重要なポイントを繰り返します。水平状態での左右運動はダメ。しかし、「おいで」と回転は大丈夫。
どこの音楽学校に行っても、ピアノの学生の何人かは誇らしげに手首に包帯をしていますが、練習の仕方がまずかったものだと思います。
手首の怪我の回復には普通時間がかかるようです。気をつけましょう。
ロシアで手首の特訓
渡米から12年程経った頃、半年間ほどでしたが、力試しのつもりでロシアのサンクト・ペテルブルグ音楽院に行きました。もとのレニングラード音楽院です。
手首の使い方には自信満々でロシアに乗り込んだつもりだったのですが、そこでの最初のレッスンの時、レベデフ先生から「手首が硬い。」と言われてしまいました。
自分では手首の使い方がうまいと思っていたものですから非常にがっかりしました。それで、そのロシアで手首の使い方を徹底的に教わったわけです。
ロシアのピアニスト、先生、学生の殆どは手首をまるでタコのようにグニャグニャさせて演奏します。
基本的な考え方は、指、手、手首、腕、そしてヒジなど自分自身を、鍵盤に合わせていくということです。
考えてみれば鍵盤はデコボコしていますから、弾いている本人がよっぽど柔軟にしていないとピアノは弾けない、ということになります。
手首を速く上下させるテクニック
手を上下させる「おいで」のテクニックは、例えばリストの変ホ長調の協奏曲の一楽章の後半、ラ・カンパネラの後半の右手、ハンガリー狂詩曲の随所に出てくる両手の速いオクターブの半音階、あるいはショパンの英雄ポロネーズの中間部の左手等に象徴されるように、多く使われます。
これは腕を動かさずに手首の動きだけでドアのノックするような感じになります。
簡単そうですが、こういう手首を動きを高速で行いながらピアノを弾くのはけっこうむずかしいものです。実際の演奏に使えるまでに私は2年位かかりましたが、このトレーニングの後、それまで弾けなかった曲が、何曲か弾けるようになりました。
手首を回転させるテクニック
これは幼稚園のお遊戯で「キラキラ星」を踊るように手首を回転させるような動きのことです。回転式のドアノブを回したり、ねじ回しを使うときのように、日常の生活で無意識に使っている、ごく自然な動きですが、指を鍵盤の上に置いた途端、どういうわけか手首が硬くなってしまうものなのですね。
手首の回転を使わなくても弾けるピアノ曲はほとんど存在しない、と私は思っております。ですからこのテクニックは非常に重要なものと捉えておくべきでしょう。
ハノン考
19世紀のフランスの作曲家ハノンは我々のために、非常にすばらしい練習曲を書いてくれました。手首の使い方を指導するため、私も使わせていただいています。指のためではありません。手首のためにです。
ハノンには申し訳ないのですが、彼の本を使っているにもかかわらず、その指示は全く無視しています。残念ながら現代のピアノは、ハノンの言うように指だけで弾くものではないと私は思っているからです。
私は彼の指示通りに練習したって、リストなんか永遠に弾けないどころか、指を痛めてしまうだけだと思っています。
1 ハノンの時代のピアノ
モダンピアノ、つまり現在我々が使っているピアノは確か1830年頃オーストリアのピアノメーカー、ベーゼンドルファーがフランツ・リストのために開発したものが第一号だと記憶しています。
当時の一般的なピアノは現代のピアノに比べてサイズが小さ目でした。鍵盤は浅く、軽く、ペタンペタンとした感じで、ピアノ全体のパワーもありませんでした。
同じ頃、背の低かったショパンはヴィエニース・ピアノというやはり小さ目のピアノを愛用していました。そのピアノも鍵盤は軽く、そのサイズも小さかったのです。
世界中のピアノの鍵盤のサイズが違うとピアニストが弾きづらいということで、ハノンの亡くなった四半世紀後の1925年に、世界の鍵盤の標準サイズがやっと定められました。
このような理由から私は、ハノンがモダンピアノを基準に練習曲を書いたとは、到底思えないのです。
ついでにご紹介しますと、1725年に、フランスの作曲家、音楽理論家であったジャン・フィリップ・ラモーが、世界で初めて、いわゆる「鍵盤楽器の弾き方」を書きました。 そのなかには、「手首を動かしてはならない。」と書いてあります。この記述を初めて見たときは驚きました。現代のピアノは手首を使わないと弾けないからです。
その当時すでにハンマーで弦を叩くピアノは開発されていましたが、まだ一般的なものではありませんでした。
このようにピアノという楽器の変遷とともにピアノの弾き方も変わるべきではないでしょうか。
2 ハノンを使って手首のトレーニング
(1) 手首の回転
ではハノンを使って、どういうふうに手首のトレーニングをするか?
まず、音符を観察します。音符は上がったり下がったりします。例えばド、äミ、æレ、äファのようにです。音符が上の方に行けば手首は右回転。下に行けば左回転となります。
また、ド、äレ、äミ、äファ、äソ、æファ、æミ、æレ、æド、というように、だんだん上がったり、だんだん下がったりする場合は、最上音であるソに向かうように手首を右方向に移動させながらだんだんと右に回転させてやり、下がるときはドに向かって徐々に手首を左方向に移動させながら左に回転させます。
簡単そうですが、練習しないとなかなかできません。
(2) 手首の回転とトリル
3と4の指(中指と薬指)、それから4と5の指(薬指と小指)を使ってのトリルは、どうしても必要なとき以外は指だけで弾かない、ということです。手首の回転で助けてあげなければ、指を痛めてしまいかねません。リストのエチュードなど、難しい曲は、そもそもこのような手首の回転を使わないと弾けないものです。
もし、置き換えられるものであれば、3と4、の代わりに3と5、あるいは、4と5、の代わりに3と5、という具合に、隣同士の指を使わないようにすれば、手首を回転させ易くなります。つまり、その2音の音程が二度であっても、3と5,あるいは、2と4、でトリルを弾くわけです。
手首の回転を利用する事によって効果的に演奏することが可能になるだけでなく、これによって手首を痛めずに済みます。
特にこれらの指でトリルを行うとき、上腕がブルブル震えるように感じたら手首がうまく回転しているという証拠となります。指だけで弾いてしまいますと上腕は震えません。
(3) 手の構造
普段気付かないのですが、指と指の間の筋肉の固さに違いがあります。
柔らかいのは親指と人差し指の間、そして人差し指と中指の間です。この柔らかさによって1,2,3の指を使って細かい作業ができます。例えば字を書いたりお箸を使ったりです。
一方、堅いのは中指と薬指の間、そして薬指と小指の間です。この堅さによって3,4,5の指は、物をギュッと掴んだり、重い物を持ち上げることができます。
このような自然の恵みを無視して、やれ4の指を高く上げてだの、無理な事をすると、手を痛めてしまいます。
(4) 4の指を上げる?
そもそもピアノを弾く手の状態で、ハノンの言うように4の指だけ上がるわけがありません。関節が逆に付いているのならともかく。それでも頑張って上げようとしたら、私の場合2cm位上がりますが、ピアノの演奏のためには全く役に立たない動きでしょう。
4の指の上げ方は、文章で説明するのが難しいので省略しますが、手首の上下運動と回転運動の両方が大きく関係してきます。
自然の法則に逆らわない範囲で、いろいろ試してみてはいかがでしょうか。
3 ハノンに関しての注意
ハノンは1番から60番まで、指の痛いのを我慢しながら根性だけで弾くものではありません。それぞれのポイントを押さえて、目的を持って効率よくやらなければ、時間の無駄などころか、指や手を痛めてしまうだけでしょう。
例えば、第60番をむやみに最後まで弾いたとしても、手首の回転を意識しなければ、全く意味の無いものとなります。
私は自分の生徒には第60番はやらせません。他の曲で手首の回転の練習ができるからです。
減七の和音のアルペジオは技術的に3種類しかありません。ですから、本に書いてあることを全部弾くのは時間の無駄だと私は思っています。そんな時間があったら1ページでも多くベートーヴェン・ソナタの勉強した方が良いと思うのですが。
©2005新谷有功