あらやピアノスタジオ
あぐらdeピアノ「ピアノ教師、保護者そして生徒へのメッセージ − アメリカに学ぶ」 新谷有功 著
第六章
集中力
(Concentration on Piano Playing)
アメリカの小学校の先生方に「集中力をどう教えていますか?」と尋ねたことがあります。そうしましたら皆、声を揃えたように「一つのことに集中するよう教えてます。」という答えが返ってきました。
私は「ライブの演奏に必要な集中力は、もう一寸レベルの高いものではないか。」と考えていたものですから、これは学校で習う集中力とは少し意味が違うのかも知れません。
ここではピアノの練習や演奏のための集中力、そしてそのトレーニング方法について考えてみたいと思います。
無視する
集中力をつける練習とは、いかに外部のことを無視できるかというトレーニングのことだと私は考えています。
子どもの頃から、例えば電話が鳴ったら出る、呼ばれたら返事をする、ドアのベルが鳴ったら外に誰がいるか確認するというように、当たり前の事をするという習慣が誰にでもついているものです。
もし、これらのことを無視しようとすると、それはなかなか難しい事だと思います。また、それを実行してしまうことは、子どもの頃からの親の教えに背くことになりかねません。
しかし、考えてみてください。例えば野球の外野手が、飛んでくる球を追いかけながらファンの声援に応えたり、「今日のおかずは何かな?」とか「明日は資源ゴミの日だ。」と考えるでしょうか?また、指揮者がベートーヴェンの交響曲を指揮をしながら固定資産税の事を考えたりしているでしょうか?
集中力を持つと言うことは、邪魔な全てを無視し、忘れ去って、初めて実現できる技だと思います。いつでも全てを無視するということではありません。あくまで何かに集中しなければいけない時とか、プロの仕事を遂行する場合に於いてということです。
集中力と年齢
ピアノのレッスンを受け、一度でも発表会でのステージに立ったことのある人であればわかると思いますが、たいていの場合、幼稚園児や小学校の低学年の生徒は非常にうまくピアノを弾きます。
ところが年齢が上がるに従って緊張の度合いが高まり、大人の生徒になってしまうと観客席から見ても明らかなくらい手や足が震えたりします。
その原因は、恐らく年齢が上がるにつれて心配事が増えたり、失敗したら恥ずかしいというような雑念が増えるからだでしょう。
確かに小学校の一年生は車のローンの心配はしないでしょう。しかし高学年になると宿題や成績の心配、中学生や高校生なら受験や将来の心配、大人になると社会的な責任から、シビアで現実的な問題に取り組まねばなりません。
つまり年齢が上がるほど心配事が増えるのです。
子どもの時のような集中力を取り戻すためには、様々なことを無視するための努力が必要になります。
運転中のラジオ
余談ですが、私は運転中、ラジオやCDで音楽を聴きません。
音楽を聴きながら、「ここはこういうふうに調が変わった。」、「このオーケストラは金管楽器が上手だからアメリカのオーケストラかな?」、「弦楽器が上手だからヨーロッパの楽団かな?」、「どんな格好で指揮をしているのだろう?」、「ロシアのバレエ音楽はこんな音じゃない」とか、つい考えてしまい運転に集中出来なくなり、危ないのです。
それよりAMラジオから流れるニュースや道路情報の方が余程役に立ちます。
集中力のトレーニング
さて、ピアニストの演奏中には聴衆が咳をしたり、子どもがその前の席をコツンコツンと蹴ったり、プログラム折り曲げて音を出したり、ひどい時には赤ん坊が泣いたりすることもあります。
どんなに聴衆がうるさくても、ピアニストは仕事をしなければなりません。また、その邪魔を、悪い演奏の言い訳にはできません。
家庭でのピアノの練習はどうでしょうか。勉強をする時と同じように、ピアノの練習にも集中力が欠かせません。教師の立場上私は、ご家族の皆さんに対して、練習をしている人の邪魔にならないよう、例えばそばでギターを弾いたり、歌ったり、掃除機をかけたりしないで下さいとお願いしています。
しかし一方で、ある程度の邪魔があったほうが、集中力のトレーニングになるとは考えられないでしょうか。
1 大家族
おもしろい例をひとつご紹介しましょう。
ダラスの郊外に、7人の子どもが居る家庭がありました。私はその家で4人の子ども達にピアノを教えておりました。7人兄弟のうち、一番上の子は高校生、一番下の子は一歳でした。
家の中がどんなに騒々しいかはご想像の通りです。スッポンポンの赤ちゃんがグランドピアノの下で、ウンチをしてしまったこともあります。母親もお手伝いさんも手が回らないのです。
しかし、ピアノを習っている時の生徒はどうでしょう。この家の子ども達は、私がアメリカでピアノを教えた中で、最も集中力の高い子ども達でした。
彼らは、毎日の騒がしい生活の中で、うるさい兄弟達を無視するという習慣が自然に身に付いていたのでしょう。
2 テニススクール
あるトップクラスのテニススクールでは、その寮で生徒の集中力を高めるためのトレーニングが行われています。
どういうものかといいますと、生徒の勉強中に先生がわざと生徒の耳元で「ワーワー」と言って邪魔をするのです。
これも一理あると思います。楽器の練習の場合はあまり勧められませんが。
3 家庭で
家庭での子どもの練習をサポートすると言うことは、決して家の中を静かにしてくださいということではありません。一定の決められた、または約束した練習時間内は、「返事をしなくても良い。」、「電話の呼び鈴を無視する。」など、練習する本人の独自の世界を作ることを手助けすることだと思います。
子どもがおもちゃやゲームに熱中している時のような超集中力でピアノの練習もやってくれたら良いのにと思いますが・・・。
大学でのディスカッション
アメリカの大学でも、クラスの中で、集中力に関するディスカッションが行われました。それは伴奏法のクラスで、5人くらいの学生がいたと記憶しています。
その時のトピックスは、「演奏前に、どのように集中力を高めるか。」というものでした。しかし、残念なことにそのクラスでは教授からも学生からも、さっぱり良い意見が出なかったので、面白い授業ではありませんでした。
その中で、自分の答えが5人の学生の中で中で一番良かったと思っていますのでご紹介しましょう。
「私は、演奏前にトイレットペーパーを買いに行きます。トイレの紙が無くなるかどうか心配していたら、練習に集中できません。また、演奏前には車の修理点検をします。演奏会場に行くまでに車が止まってしまうのではないかと心配していたら練習に集中できませんから。」
教授の期待していた答えとは随分かけ離れていたのか、「君は自分のリサイタルの前日にトイレットペーパーを買いに行ったり車の修理をするのかね?」と教授。
日常生活から、心配事を少しでも多く排除するよう、今でも努めています。これも集中力を高めるトレーニングの一つだと思っています。
まとめ
集中力のトレーニングが成功したら、しめたものです。私は自分の生徒本人や保護者から随分お褒めの言葉をもらいました。ピアノのレッスンの中で生徒と一緒に集中力に関するディスカッションを行ったら学校の成績が上がったというのです。
このように集中力が必要であると思われる事柄は楽器の演奏だけでは無いと思います。集中力のトレーニングによって成績が上がれば、生徒自身の大きな自信にもつながることでしょう。
ピアノ演奏でも、集中力を自分でコントロールできる状態になって初めて、ステージの上での演奏を演奏者自身が楽しむことができるのではないかと思います。
©2005新谷有功