あらやピアノスタジオ
あぐらdeピアノ「ピアノ教師、保護者そして生徒へのメッセージ − アメリカに学ぶ」 新谷有功 著
第四章
「移動ド」万歳
(Movable "Do and Fixed "Do")
「移動ド」というのは、簡単に言ってしまえば、「絶対音感が無い」ということだと私は思っています。
絶対音感が「あるか無いか」、あるいは「どちらが良いか悪いか」は、ここでディスカッションするつもりはありませんし、その値すら無いと思っています。なぜなら、絶対音感のある人と無い人は、別の世界に住んでいるようなものです。つまり絶対音感のある人には、無い人のことがよくわからない。また逆に絶対音感の無い人には、ある人のことがよくわからない。ということだと思います。
私には絶対音感がありませんので、絶対音感を持っている人の気持ちがわかりません。ですから、その比較ができません。逆に、絶対音感を持っている人たちは、われわれ持たない人間が、どのように音楽を楽しんでいるのか、知る由もないでしょう。
かの有名なバッハも、そして14年間もお世話になったバノウェッツ先生も絶対音感を持っていませんでした。
「移動ド」である自分の立場からいろいろ考えてみたいと思います。
「移動ド」と「固定ド」の違い
「移動ド」の人は、調によってド、レ、ミ・・・を移動させます。例えばハ長調の音階はド、レ、ミ・・・と読みますし、ト長調の音階もド、レ、ミ・・・と読みます。
「固定ド」の人は、調にかかわらずドならド、レならレ、と読みます。例えばハ長調の音階ならド、レ、ミ・・・ですが、ト長調の音階はソ、ラ、シ・・・となります。
「移動ド」と「固定ド」の割合
「移動ド」の人と、「固定ド」の人の、統計学的な比較があるかどうかはわかりませんが、私が実際に立ち会った例ご紹介します。
日本の音大に通っていたとき、ピアノ科の学生50人を集めて音楽理論の授業が行われていました。そこで先生が「「固定ド」の人、手を挙げて下さい。」と言ったとき、ほぼ全員が人が手を挙げました。そして「「移動ド」の人、手を挙げて下さい。」と言ったとき、手を挙げたのは、2〜3人でした。その中に私がいたわけです。
アメリカの大学でもソルフェージュのクラスを取ったことがありました。学生の数は15名。全員が音楽の学生でしたが、ピアノ専攻の学生はその中で2〜3人だったと記憶しています。そこで先生が「絶対音感のある人、手を挙げて下さい。」と言ったとき、手を挙げたのはたった一人、打楽器専攻の学生でした。
これらの2例は条件が全然違いますので、比較に値しませんが、おもしろい経験だと思いました。日本のピアノ科の学生の殆どが「固定ド」だったということは、その時まで知りませんでしたから。
「移動ド」の限界
1 暗譜の限界
私は、過去にステージの上で演奏した曲の中で、「二度と弾くものか。」と思った曲がいくつかあります。同じ曲の中で、同じテーマが、三つ以上の別な調で出て来る場合です。 特にショパンの後期のもの、例えばファンタジーとか、ソナタの第三番とかです。ラフマニノフも後期のものはお手上げです。
このような曲を弾くとき、私のような場合は、技術的な練習より暗譜に時間がかかります。それより、ステージの上で頭の回転が間に合いません。曲の構造を考えないと暗譜が出来ないからです。つまり、音だけでは暗譜ができないのです。
一方、リストを弾くのだったら、たいていの場合大丈夫です。超絶技巧という言葉が使われる通り、リストは技術的には非常にむずかしいのですが、暗譜という点では、私の場合それほど問題ありません。
リストの曲は、技術的にむずかしくても、曲の基本的な構造が意外と単純だったりします。音符を見る限り、複雑難解な部分が多いのですが、楽曲分析をしてみますと、半音階がダーッと続いているだけだったり、あるいは和音の進行は、ずーっとIとVの繰り返しだったりします。こういう場合、指先では高度な技術が必要でも、暗譜する側の脳は比較的楽なのです。
2 ピアノの音がわからない
アメリカの大学で、友人の中に絶対音感を持つピアノ専攻の学生がおりました。
私は彼にこう言ったことがあります。「僕は、ピアノの鍵盤を見ただけで、その音のピッチがわからないんだ。」例えば、ある鍵盤を指さし、その音を弾かずに「声に出してごらん」と言われても、私には出来ないのです。
その学生は私をまるで珍しい物でも見るように「ほー」と言っていました。
この例でも明らかなように、絶対音感を持つ人にとっては、持たない人がどのように音楽を行うかがわかりません。
暗譜するために、私は曲の構造を分析しなければなりません。例えば、その作曲家がどういう作曲技術を使って転調した、とか、その和音の進行がこういう具合になっているのでベースの音はこういうふうに動いているとかを、いちいち勉強しなければなりません。 逆に考えれば、教師になるために必要な勉強を、一曲一曲やっていたわけです。それは一応の収穫としておきます。
3 ソルフェージュの限界
アメリカの大学院の入学時にソルフェージュの試験を受けなければなりませんでした。 試験の前には5分ほどの時間が与えられ、その楽譜を見ることができましたが、それは16小節ほどの単純なメロディーで、曲の途中には転調が確認されました。私は「こんなの簡単だ。」と思いながら試験を受けました。
「移動ド」である私は「ド、レ、ミ・・・」と声を出し始めました。それはいいのですが、途中で調が変わったときに「ド、レ、ミ、」の関係がわからなくなってしまい、いきなり「アー、アー、アー、」と替えてしまいました。自分でもびっくりしてしまったので変な声になってしまいましたが、そのピッチは合っていましたし、最後まで止まらなかったので、試験は通りました。
4 転調
ある曲を聴きながら、たまに「あ、調が〇〇長調に変わった」と言って、自分の絶対音感を誇る人がいましたが、その都度私は惨めな思いをしてきました。
私の場合、調が変わったということがわかっても、聴いているだけならそれが何調に変わったのかまではわかりません。聞こえてくる音楽が長調だったらそれは全部ハ長調に聞こえてしまうのです。「移動ド」だからです。
それを、哀れみ思ってくれた人もいましたが、こちらとしては何のその、曲を構造で聴いているので、街に流れている音楽、テレビのコマーシャルの音楽を全部、ピアノで弾けます。長調の場合は全部ハ長調、そして短調の場合はハ短調またはイ短調になってしまいますが。
5 12音技法
シェーンベルクやベルクに代表される12音技法は、20世紀の初頭に出てきましたが、これは勉強してみると非常に理論的で面白い物です。ですから、音楽学生達には勉強することを勧めています。
12音技法に関して私自身、楽譜の上での勉強は一年間ほどしました。しかし、その演奏は聴きません。トンチンカンに聞こえるからです。
12音技法は、任意の6音または12音を重複しないように適当に並べ、それを楽譜の上で順番に音符として置いていったり、あるいは逆に並べたりするものです。
コンサートでこういう音楽を聴いたことがありますが、もしピアニストが音を100%間違えて弾いたとしても私にはわからなかったでしょう。
ただトンチンカンに聞こえるというだけではありません。12音技法を使った音楽の構造は、楽譜の上では分析できますが、耳で聴いただけではわかりません。
しかしこれは、自分には必要の無い物だと思っていますから、不自由だとも思っていません。もし、流行歌手が「愛した」、「恋した」と12音技法で歌ってCDを出して、その音がトンチンカンに聞こえたら、恐らくそれは誰も買わないでしょう。のど自慢に出場して鐘が何個鳴るか試してみたら面白いかも知れません。
「移動ド」の利点
ある往年の音楽家がその記述の中で「年を重ねるごとに、だんだん絶対音感を失い、それとともに音楽を楽しむことができるようになった。」とありました。
これは、私にとっては考えさせられた一文でした。絶対音感がある方が良いに決まっていると思い込んでいたからです。
この一文に一筋の光を見いだし、学生の頃、飛躍的に暗譜能力が上がった時期がありました。その主な原動力は音楽理論とソルフェージュの勉強でした。
「移動ド」の人は、ドをただのドと聴いているだけではなく、その音階の一番目の音という意味でドと呼んでいるのです。
ある一つの音が、曲の音階、調、構造によって、どのように機能しているかという勉強によって、私の暗譜能力が増幅されたわけです。それだけではなく、音を聞くだけでその構造、スタイル、歴史的な背景など、さまざまな角度から音楽をとらえることが出来ることになり、より一層音楽を楽しむことができるようになったのです。
1 音楽理論の助け
(1) 楽曲分析と暗譜
アメリカの大学では音楽理論を基本からやり直しさせられました。長音階、短音階から始まり、和音、和音の進行、メロディー、等ピアノ演奏専攻の自分がどうしてこんなに音楽理論のために時間を費やさなければならないかと思うほど勉強しなければなりませんでした。何年間もです。
しかし、その結果どうでしょう。暗譜が楽になったのです。
それまで私は暗譜するとき、音楽の構造なんて考えていなかったのです。ですから、ドはド、ソはソ、という具合に暗譜していました。絶対音感を持っていなかったのに、それを持っている人のような覚え方をしていたのだと思います。
音楽理論の中の一つ、楽曲分析の勉強では、曲の全ての音を残らず観察し、分析します。ピアノ曲はもちろん、交響曲や、12音技法まで、随分やらされました。
そこで私は、一つ一つの音が曲の中でどのように機能しているかを勉強したのです。
そして、そんなことをやっているうちに、知らずのうちに、自分の練習中している曲も自然に分析するようになっていました。そうしたら自動的に暗譜が楽になったというわけです。
例えば、ショパンのト短調のバラードの分析をしたときは、その過程でどんどん暗譜してしまいました。分析を終えたときは、全部の暗譜が完了したという状態だったのです。 楽曲分析の段階で何をやるかを簡単にいいますと、例えば、ある部分はハ長調で、次のセクションはヘ長調、その関係は下属調、その作曲技法では、この音にフラットを付け、こういう種類のカデンツに持って行くために、ドミナントはこういう風にして、その準備のためにモーツァルトは、このサブドミナントを選んだ、という具合になります。
(2) 楽曲分析と「移動ド」
では楽曲分析が、「移動ド」とどう関係しているのでしょうか。
楽曲分析の段階では、もはや、ドはただのドではないのです。ドはハ長調では、1番目の音。ト長調では、4番目の音。というように、同じ音でも、調によってその機能が変わります。
「固定ド」ではドはただのド、レはただのレです。しかもそのドとレの間に何の関係も見いだせません。
「移動ド」の場合は、まず調を確認し、それがハ長調なら、ドは一番目という役目を持ち、レは二番目。そしてその音程は長二度。さらにそれらがカデンツの上では順番が逆転し、レからドに解決する。というように考えます。
(3) 「移動ド」と楽曲
ではいったい、「移動ド」である私は、どのように音楽を弾いたり聴いたりするのでしょうか。
例えばハ長調の曲でサブドミナントのベースにファの音があるとします。それはドミナントのベースであるソに向かってダーッと続き、さらにトニックであるドに向かってまたダーッと続き、そしてカデンツが終了します。右手のメロディーも同時にトニックに到着して、フレーズが終了します。
いかがでしょうか。音楽が動いているような感じがしませんか?
この場合、ファはサブドミナントとして機能します。ソはドミナント。そしてドはトニック。と、いう具合に、それぞれの役目を果たしながら、楽曲が成り立っています。また、そのように作曲家が音楽を作ったのです。
このように、音楽理論の勉強を通して、私は自分本来の「移動ド」の感覚で音楽をとらえることができるようになりました。そして、暗譜力の飛躍ということもあり、自分で音楽を楽しむことに加え、そのまま自分の教えるピアノのレッスンにも反映されるようになって行きました。
2 ソルフェージュの助け
子どもの頃、「ピアノを習いに来ているのに、何で僕は歌をうたわなきゃいけないんだ。」と反発しソルフェージュの勉強を止めてしまいました。その時はソルフェージュの本を開いて、ただ「アー、アー」と、歌っていただけだったのです。面白いわけがありません。
教師は生徒に対し、どうしてソルフェージュを行うのか、それがどのように役に立つのか、また、どのようにピアノ演奏の助けになるのかを、たとえ相手が小学生であろうと、実例を示した上で、きちんと説明するべきだと思います。
日本の音大に入ってもソルフェージュのクラスを取らなければなりませんでした。残念ながら、そこでもやはり本を開いて「アー、アー」とやっているだけでした。
なんでそんな事をやっているのか、私にはさっぱりわかりませんでした。まあ、ソルフェージュのクラスは簡単でしたので楽でしたが。
アメリカの大学院で、必須科目を取り終え、どんなクラスでも良いから卒業に必要な単位を取らなければならないという時期がありました。
その時「どうせまたアー、アー、やるだけで楽そうだから。」という理由でソルフェージュのクラスを取りました。
そのクラスを担当していたのは学生講師ではなく、立派な教授でした。
どうしてこんなに立派な人が「アー、アー」やらせるだけのクラスを教えるのだろうと不思議に思いました。一方、その人がどういうふうにソルフェージュを教えるのだろうかという興味も沸きました。また、それが自分の教えるレッスンのためにきっと役立つことがあるかも知れないという期待もありました。
そこでは、ただ「アー、アー」とやっているだけではありませんでした。そのクラスを取ったのをきっかけに私自身の暗譜の作業が楽になり、ステージでの演奏まで楽しくなってしまったのです。
そこで学んだ役に立つ事柄をいくつか紹介したいと思います。
(1) ピッチメモリー
ピッチメモリーというのは、まず任意の音を主音と定め、その音階の上で、一つ一つの音程を覚えるということです。簡単にいえば、ある音を与えられ、そこから「ド、レ、ミ、、、」とうたっていくトレーニングです。
これは音楽をやっている人ならだれにでもできることなのですが、ピッチメモリーという言葉は私にとっては新鮮でした。
さて実際に声を出す段階になりました。先生は「ピッチさえ合っていればどのように歌っても良い。」とおっしゃいました。「移動ド」の「ド、レ、ミ」でも、「アー、アー」でも、「one, two、three」でも、「固定ド」でも、なんでもかまわないということでした。
この「one, two, three・・・」という読み方の「one」というのは、そのスケールの一番目という意味です。ですから例えば、ト長調の「one」は鍵盤上ではソの音で、ヘ長調の「one」は鍵盤上のファの音です。
ソルフェージュで「one, two, three・・・」とうたうのは外国人であった私にとっては、随分やり辛かったので、「ド、レ、ミ、」でやらせてもらいました。
考えてみれば、もしかしてこの「one, two, three・・・」は、まさに「移動ド」のやり方ではありませんか。
自分の居場所を得た気分になり、とてもうれしくなりました。小さな出来事ですが、ピッチメモリーという言葉を覚えたことが、「移動ド」である自分にとって、大きな自信となりました。
(2) 音程で考える
そのソルフェージュのクラスでは正確なピッチメモリーでただ、歌うだけではなく、2音の関係を音程で考えるように指示されました。
例えば、ドをもとにファを取る場合、ただのファと考えるのではなく、それはドよりも完全四度上の音であるファというように考えるというものです。また、「固定ド」の人もピッチメモリーに沿って、音程を考えながら声を出すよう指示されました。
これらも、音楽学生にとっては、易しい事なのですが、これがどのように私の暗譜の助けになったのでしょうか。
ソルフェージュの授業中、先生の説明の中に次のような事柄がありました。
「音程の離れた音、例えば7度を声で出すのが面倒な場合は、まずオクターブ上の音を取り、そこから半音下がればシ、全音下がればシ♭、というふうに考える。そうすれば便利だ。」
当時私がある曲を暗譜をするとき、鍵盤の上で指の届く範囲なら、音程やピッチメモリーをもとに問題なくできました。例えば「ソ♯はホ長調の3番目の音」という具合です。
問題だった事は、音が飛んで、手が空中を移動し、その手が鍵盤に降りるとき、音がわからなくなって、「あれっ」と思ってしまうことでした。
ソルフェージュの授業は、必ずしもそこで習ったことを実技の練習のために直接的に活用するというものではありませんでした。しかし私は、もしかして、この跳躍した音程を取るというアイディアが自分の暗譜の助けになるのではないかと思い、実際にピアノに向かって実験してみました。
空中に手がある時に、頭の中で、オクターブ毎に「ド、次のド、そしてその次のド、そしてその3度下を取る」または、「2オクターブ跳んだあと、4度を取る」という具合に暗譜するように心がけました。するとどうでしょう、それをきっかけに、私の暗譜力が飛躍的に向上したのです。
それまでは、どんなに飛んでいる音でも、単にラ、とか ミ、というふうに暗譜していたものですから、演奏中によく、ふと忘れてしまうということがよくありました。
しかし、このソルフェージュ式を応用してから、暗譜が一段と安全になり、同時にステージの上で演奏するのが、楽しくさえ思えるようになったのです。
まとめ
音楽を楽しむためには、絶対音感を持とうが持つまいが、あるいは「固定ド」であろうがなかろうが、それほど重要な問題ではないと私は考えています。
楽曲の全体構造の中で、一つ一つの音がどのように機能しているかを理解することの方がよっぽど大切だと思います。
もちろん楽曲分析を小学生の初心者にやらせるのは到底無理です。しかし、優秀なテキストの中にはきちんとその基本を教えているものもあります。
例えばバスティンは、初級最後のテキストの中で、スケールの中の、主音、上主音、中音、下属音、属音、下中音、導音、という言葉を教えています。
教師はこれらの用語をただ生徒に暗記させるのではなく、まず教師自身がその意味を理解し、実際どのように楽曲の中で使われ、どのように練習に活用し、どのように暗譜や演奏に役立てるかを含めて指導するべきだと思います。
そうすることによって、生徒が将来、どれほど音楽を楽しむことができるか計り知れません。
中級に入りますと、私自身、生徒に対して、かなり突っ込んだ質問をします。
例えば、まずその生徒が弾いている曲の調は?サブドミナントのベースはスケールの2番目の音かそれとも4番目の音か?ではドミナントではどのようなベースが期待されるか?それはどうして?さていよいよトニックだ。さっきの調と同じかな?違うかな?というふうに生徒にどんどん考えさせるのです。
「そんな事、私の生徒には無理」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、初級の段階で 生徒に考える癖を付けさせれば大丈夫だと思います。
先生の質問に生徒が答えられなくても良いのです。何度も何度も教えて差し上げれば宜しいではありませんか。
©2005新谷有功